応用コース第19回 <実施報告>

テキスト第14講座「事例研究−福祉講演会の聞き取り通訳」

11月9日(土)担当:舩田、木下

*10月19日の宿題 「第14」 講演通訳 をよく読むこと

1.あいさつ、今日の流れを説明する。
2.第14講座 「講演通訳」 テキストP32〜33
・学習のねらいについて
・宿題をもとに検討のポイントを3グループ分かれまとめる。
・検討のまとめ …… @問題は何か? A解決方法は?

           <記録係はA4の用紙に書く>  15分間

3.グループの発表

                記録係 …… 読み上げる
                  1名 …… 聞き取り表現
                  1名 …… 問題点を引いた用紙を黒板に貼る

4.講師のコメント              <2:40まで>

     < 休 憩 >

5.通訳同行リポート<10月26日(土)>の発表
      稲葉、斉藤、清水、田中(綾)
残りも受講生も全員2人一組ずつ 1名…レポートを読み上げる
                      1名…聞き取り表現
                       <2人交替する>  
*ろう講師……受講生の表現の内容をつかんでいるかとチェックする。
6.先輩通訳者として留意すること(木下)
7.来週のこと (第15講座を読んでおくこと)

★木下、反省の弁

事前の計画では、「レポートを元に、受講生が通訳現場で感じてくれた課題をみんなで一緒に考えたい」と思っていたのですが、聞き取り通訳してもらった、その「通訳」があまりにも「ろう講師に届いてない」状況に、少々・・・(「その通訳はないだろう!」)ということで、結局、全員同じ文章を「聞き取り通訳」してもらいました。
「事例研究」を「より実践的にやろう」というつもりが、「単なる聞き取り通訳練習」になってしまった。あんなに拘る必要なかったかも…と少々反省しましたが、「伝わっていない通訳」「伝えようという熱意の感じられない通訳」「伝わっているのかいないのか、あまり感じていないのではないかと思える通訳」に…ちょっと…。
通訳の様子をビデオに撮っていれば良かったのですが、もともと「現場リポート」だけのつもりだったので、ビデオカメラの用意をしていませんでした。一人一人の通訳に、ろう講師からコメントをしていただき、僕もそれに自分の感じたことを付け加えました。

★気が付いたこと

(1)自分で納得してしまう通訳
目の前にいるろう講師に通訳している内容が届かないのです。う〜ん、上手く解説できない。そういえば先日、田門さんの読み取り通訳の反省で、S先輩から「今日の木下さんの読み取りの声は、内に留まってしまって客席に届いてなかった。疲れてたからかな、声が身体の中にこもっていた。」と指摘されました。
これって、今になって考えてみると、通訳を受ける対象である「手話を知らない一般の人たち」のことをちっとも考えてなかった、ってことなのです。11月9日のこの講座で散々受講生に文句ぶーたれといて、25日の自分の通訳で同じ過ちを犯していたなんて情けないです。
そういえば、同じ反省の席でS先輩は「私は、今日は一般の方も大勢いらっしゃってるので、田門さんの人柄もちゃんと伝わるように、って思って声の調子も工夫したのよ」っておっしゃってました。すっごい反省です。
(2)途中であきらめてしまう通訳
話者の話しに追いつけなくなってしまうと、あきらめて「待った」をかけたり、「舌を出し」てゴメンしちゃう通訳。
なんでだろうなぁ〜、「あきらめてどうする!」って思う。心の動揺を必死で押さえつけて、ひたすら通訳に集中するのだよ。「しまった!」って思うことさえ通訳には「邪魔・雑音」でしかないって思う。
通訳って、「自分を殺」さなきゃいけない仕事じゃないかなぁ〜って思う。通訳やってる最中は頭の中に「自分」がいちゃいけないんだと思う。「失敗した、恥ずかしい」とか「読めないよ、まいった」とかいう「自分の」感情があると、それだけで通訳がブレてしまうように思うのです。
頭の中を、ある意味ですっごく「危ない状態」にしなきゃいけない、それは、話者になり切っちゃっうっていうのかな、話者の脳と共鳴させちゃうようなというかな。レントゲンのカメラのように自分の脳を通じて話者の話をそのまま透かして見せちゃうような状態になる(させる)。

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